*夢の島

 

 


 トンネルを抜けると――そこは夢の島(東京都江東区にある人工島 東京湾埋立14号地)でした。

「あの……ホンさん?」

 言葉を発しようとして、危うく舌を噛みかける。

 ぐらぐら、と頭が揺れているようだ。いや、実際に揺れている。なにせ、俺がいるのは軽トラの荷台だ。

 真っ赤。真っ赤な塗装。

 ありえないということはないだろうが、世にも珍しい、真っ赤に塗装された軽トラ。あまりにも自己主張の激しい色に、俺は頭痛を覚えずにはいられなかった。

 足場が悪いせいか、軽トラは左右上下に激しく揺れる。その度に、俺の身体は跳ね上がり、荷台の上を無様に転がる。

 身体を支えようにもそうもいかない。

 なにせ、俺の両手両足は縄によって拘束されている。そして、その胸に張られた一枚の紙。

 

「粗大垃圾」

 

 赤いマーカーで大きくそう書かれている。俺の記憶が正しければ、それは確か「粗大ゴミ」という意味のはずだ。

 俺は困惑と、一抹の恐ろしさを胸に顔を上げた。

 服の裾が渦を描くようにして風に靡く。紺色の長袍(チャンパオ)に身を包み、軽トラの屋根に手を置き、悠然と前方を見据える男。

 足元には、赤いマーカーが転がっているから、俺を拘束させ、「粗大垃圾」と書かせた(或いは書いた)のはこの男だろう。

 一際、大きく荷台が揺れ、俺は悲鳴を上げる。したたか頭を打ちつけ、痛みに目端に涙を浮かべた。

「ホンさんっ!」

 痛みを堪えながら、俺は声を張り上げた。それに、ようやく、その男は振り返った。

 歳は聞いていないので分からないが、二十代後半から三十代半ばくらい。撫で付けて纏めた長髪。目付きは鋭く、猛禽類を思わせる。

 本当の名前も知らない。ただ「ホン」とだけ紹介された。

 話す言葉から中国人であるということだけは分かっている。互いのことは深く聞かず、用が済めば二度と会うことはない。そのはずだったのに。

「これは、一体、どういうことですか!」

 生憎だが、俺は中国語は話せない。しかし、目の前の男が日本語を理解していることは知っている。

 上から注がれる、容赦ない冷たい眼差し。底の見えない目。

 犯罪を犯すことも、殺人を犯すことも容赦ない、闇を抱いた眼差し。

 俺は背筋を凍らせた。

 

 簡単な取引だと先生は言った。簡単ではあるが重要な取引だと。

 中国マフィアと繋がりを持つことは、組織の今後のために必要なことだと。

 組織の命運を決めるような取引に、俺が抜擢されたことは誉れだった。

 取引は先生の言うとおり、簡単なものだった。まさに、小学生のお遣いと同じ。それでも、俺は大役を果たせたことに満足していた。

 ホテルに戻ったのは、深夜になっていたはずだ。シャワーを浴び、そのまま俺はベッドに潜りこんだ。

 俺の記憶はそこで途絶えている。気がつけば、目の前には取引相手の交渉人。真っ赤な軽トラに乗せられ、夢の島を爆走していた。

 

「なに、がだ?」

 返って来たのは抑揚のない言葉。一切の感情をそぎ落としたような声。取引の最中、まるで機械だと俺は思った。

 相手が意思の疎通をする気があることに安堵し、幾分か緊張を緩める。

「なにが、じゃありませんよ? これは一体、なんの冗談ですか?」

 取引は無事終了した。お互いにもう用はないはずだ。たとえ、気が変わったにしても、俺を拉致したところで、なんのメリットもない。

「玩笑?」

 冷笑が浮かぶ。

 男は俺の胸を指差した。それに導かれるように、俺は視線を落とし。

「読めないのか?」

 吐かれたのは、滑らかな日本語。

「……粗大ゴミ」

 俺は答えながら、男を睨む。だから、なんだというのか。

 男はゆっくりと周囲を見渡し、それから、再度俺に視線を向けた。

「垃圾は処分するものだ」

 その意味を俺が悟るのに時間は掛からなかった。

 つまり、この男は俺を――。

 

 これは、夢か。俺はまだホテルで寝ているのか。

 夢か現か。それさえも分からぬまま、俺は激しく揺れる荷台の上を転がった。

 

 

 

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